川村泰雄著
 

■口は生命の根幹

歯は命
先頃 "芸能人は歯が命"というキャッチコピーによりその歯磨剤が少々高いものにかかわらず売れに売れて既存の歯磨剤のシェアを食い荒らし町の小さな会社がこの商品だけで株式上場するまでに成功したそうです。
その成功は"芸能人は歯が命"というコピーにあるといわれています。

なぜこれほどまでに毎日放映される"芸能人は歯が命"が消費者を動かしたのか。 テレビでは芸能人に限らず圧倒的にクローズアップが多く、テレビのブラウン管いっぱいに顔が映し出されます。その口からこぼれる歯はやはりその人の印象を大きく左右します。清潔感、性格、セックスアピール、優しさ、美しさ等々、特に白い歯の魅力は視聴者のあこがれになるのでしょう。白い歯は芸能人にとってその「職業にとって命」だという事でしょう。そうであれば多くの人たちは芸能人のような白い美しい歯になりたいという願望がその歯磨剤へのなだれ現象が起こったと考えられます。

しかし"歯は命"というコピーは芸能人を"人間"という時に置き換えることによってその意味は大きく変わります。
それは"職業にとって"ではなく歯は正真正銘"命"にかかわるのだという事になります。

"人間皆歯は命"
口というのは人間にとって重要な臓器です。歯はこの口の中にあって主役を演じています。口の大切な仕事の咀嚼という役割は歯によって演じられます。口によって人間のコミュニケーションに大切な会話が行われます。それは人間とほかの動物とは違う万物の霊長としての重要な行為です。その会話も歯がなければしっかりコミュニケーションができないということです。

人間の身体は異物が入らないよう身体の表面は皮膚という頑丈な皮膜によって覆われ、完全武装をしています。どのような細菌も異物も身体への進入を防いでいます。唯一露出している目も睫で覆われ瞳のまたたきによって異物の進入を巧妙にプロテクトしています。その中でも唯一口は体内に異物を容易に許容しうる入り口です。人間生きていくのに必要な食物を口から体内に取り入れなければならないからです。

この場合人間の身体にとって口にはいる異物が悪いものか良いものかを選別しなければなりません。そのために口に入れる前にまず鼻で嗅覚を働かせて選り分けます。刺激臭や腐敗臭があるかを確かめます。そうして次に口に入れます。その時、舌によって特に舌の先の味蕾は刺激的な酸味や苦みなどは敏感に感じるようにできています。口の中に入れる前に身体に害にならないものかどうかをなめて味わって選別するのです。私たちの先祖の原始人だったころは生きていくのに必要な食物を選んでいく操作を行って異物を体内に入れるのを大変慎重にしていました。

この慎重なスクリーニングを経て始めて上と下の歯によって咬みきり噛み砕く咀嚼が始まります。

 


 


生きると言う事と口
人間が生きていくには外から食物を口から入れ、そうして咀嚼し、最初の消化を行います。そうして口から入れ、腸に送り込み消化吸収してそれがエネルギーとなりまた、血や肉を作り新陳代謝を繰り返し生きていくわけです。

その咀嚼の最初は食物を前歯にかみつき、咬みきります。食物を口に入れ上下の歯の間に入れたとき、歯の根が骨(歯槽骨)に強固に植わっていますが、その根と骨の間に歯根膜という膜が歯の根を覆っています。その膜は歯根と骨をくっつける繊維と血管が営んだ組織で、また固い根と骨の間のクッションの役割を果たしています。そうして食物が固く歯に強い力がかかると歯根膜はその力をセンサーとして脳の中枢に神経により伝達し、中枢からまた下顎を動かす筋肉(咀嚼筋)に伝えられ、筋肉はその食物の硬さに応じた収縮をして食物をかみ切り、咀嚼をします。硬い肉であれば強く、柔らかい豆腐であれば筋肉はそれ相応に弱く収縮するのです。

また、口の中に身体に害を及ぼす硬い異物のあるときそれを排除し、また咽欧する事により吐き出し、口の中から体内にはいるのを防御します。そうして上下の間にある食物は舌や頬粘膜の共同作業で唾液を混ぜて一つの塊にします。食物が口にはいると耳の裏にある耳下腺と舌の下にある舌下腺から唾液が多く分泌されます。唾液の中には澱粉の消化酵素アミラーゼがあります。よく咬んでいるうちにご飯が甘く感じるのはすでに澱粉が分解し、糖分になっていることが分かります。その後唾液と一緒に食物が食塊となり胃に送り込まれるわけです。唾液はそのほかに免疫物質が含まれ、また殺菌作用のある物質もあるわけです。

それだけではないのです。唾液の中にはリゾチームといって細菌に対する抵抗力、また発ガン物質を減らすラクトペルオキターゼなどが含まれ種々の口からはいる異物に抵抗しているのです。これらの作用も上下の歯が丈夫にかみ合ってしっかり咀嚼することにより多量の唾液が分泌されるわけです。

 


咬み合せは健康の源
人間の歯は前歯、犬歯、小臼歯、大臼歯の4種類に分かれています。前歯は食物をかみ切り、犬歯は肉を食いちぎって食べる時に、大小臼歯は穀類を咀嚼するときに使います。臼歯の数は上下16本、犬歯は4本、前歯は8本ですから人間はこれだけの歯を使って食物から栄養をとるべく働いているのです。この中でも臼歯16本は穀類をよく細かく噛み砕くことが大変重要なことになります。
 


[上下歯列、上下の前歯、臼歯がお互いにその役割を果たすように配列されている]


 

臼歯を使ってしっかりと咀嚼をすることはゆっくりと食事を楽しむと云う事です。単に動物が餌をとって生命を維持するのではなく、人間らしく甘み、辛み、苦み、渋み、酸っぱさ、食材や調味料で作り出す食べ物の微妙なハーモニーはまさに味覚の魔術ですが、これを引き出すことができるのも口の中のすべての機能が健康であればこそです。 もともと日本人は繊細な味覚の持ち主と云われ四季折々の素材をうまく生かして味わってきました。竹の子の歯触り、胡瓜のさくさくとした歯切れの音、酢蛸やイカの塩辛の歯ごたえ、豆腐の柔らかい舌触りや芋の粘りの感触…。

日本料理は口の感覚だけでなく色彩や形、触覚、香り、音までを味覚の中に取り込んできたのです。そうして今、世はグルメ時代。街には世界の料理が軒を並べ、テレビは連日のように料理番組を流しています。食材の豊かな中国料理、ソースのうまいフランス料理、チーズとパスタのイタリア料理等々食べるという本能の貪欲さを越えて人生最大の楽しみをお膳立てしてくれます。

前歯で牛肉を切り裂き、奥歯で噛み砕く、唇をすぼめて熱いスープをすする感触、暑い夏に口にする冷菓の冷ややかさ、のどごしのビールのうまさ、いずれも幸福のひとときです。 この至福のひとときは、歯、歯肉、歯根膜、歯を支えている歯槽骨、唇、頬、舌、口蓋、咽喉、目、耳、鼻、これらのすべての総合芸術であるのです。そうしてそれらのすべての刺激は脳の体性感覚野で受信するわけです。このことは脳を活性化することになるのです。 大島清先生は食脳学の中で次のように述べておられます。

「新鮮な鰹のたたきを食べたとする。味、匂い、そうして食感、それだけではなく目で楽しむ。この情報は脳の体性感覚野から前頭葉に伝わり、そこで以前食べたカツオとかマグロなどの味と総合的に比較される。「うん、これは以前食べたどのたたきよりもおいしい」この感想は視床下部に伝わり、海馬の記憶と合わされ、そこから好き嫌いを司る脳である扁桃核や快感を司る測坐核などに伝わる。おいしいという感覚はそれが好きだという気持ちに扁桃核で「翻訳」されるのだ。また食べたいという欲になって測坐核で肯定的エネルギーとなる。そうして快感となってA10神経を通して全脳全身に伝わる。快感神経からベータ・エンドルフィンが分泌されるのだ。ホルモンが体内に分泌され、また自律神経もその同調を高め、全身いい気分に浸される。それだけではない。全身で感じた快感が再び前頭葉を刺激することでまた食べたいと強く思うようになる。快感は繰り返し求められる。」

その結果、 「そうだ、土佐にカツオの皿鉢料理がある。今度の週末恋人と土佐に行こう。」こんな発想となるのかもしれない。口に入れて食べたという事実を出発点とした情報が脳と全身の応答によって人間ならではの行動として旅にまで行き着くのだ。」 と書いておられますが、良い歯で食事を楽しむことが深い精神活動につながり、人間をいつも生き生きとクオリテイライフを楽しむことになるのです。

噛むことは精神的にも大きな意味があります。命を維持するために食べると云う事は大切であることは云うまでもありませんが、それは性欲よりももっと原始的な本能です。食物を口に入れて噛んで嚥下する食を求める衝動、それは何かを咀嚼したいという咀嚼欲(河村洋次郎)にもつながります。野球選手がバッターボックスにたってチューインガムを噛むのも、また子供が何か口の中に噛むものがあるとおとなしいのも咀嚼欲を満たされるからなのです。歯が失われ咀嚼が不可能になったとき、その精神的な欲求不満は大変なものです。

 


老化防止は丈夫な歯で
成人病の予防のためには1日に30種類以上の食品をとることが必要ですが、歯を失うとどうしても食品の種類が少なくなり、さらに濃い味付けをすることになります。 日本人の死亡の原因の一位はガンです。ガンはその6割か7割は食品と煙草に起因するといわれており、同じ食べ物を食べ続けているとその確率は高くなります。たとえ食べ物に発ガン性物質が含まれていても、よく噛んで唾液を充分に分泌させればその活動を抑制できることが最近の研究でわかりました。

濃い味付けは高塩粗食になって必要なタンパク質や脂肪分が不足し、高血圧症や脳卒中にかかりやすくなります。寝たきり老人になる原因の第1位は脳卒中です。ついで骨折が多く、これはカルシウム分の不足から起こります。寝たきりになるとビタミンDの欠乏と運動量の減少を招いて骨軟化・骨粗鬆症などを併発しやすくなり、病状はさらに悪化します。また歯を失うことで牛蒡、蓮根、といった繊維食品の摂取が少なくなることも問題です。欧米諸国の食生活には繊維食品が少なく、このため日本に比べて大腸ガン、結腸ガンの患者の率が高かったのです。食生活が欧米人並になると共に、日本人の大腸ガンが急激に増えてきています。特に歯を失った老人の場合はこの傾向が顕著です。 糖尿病にも関係があります。繊維質が少ないと胃の中で糖分が一度に吸収されてインシュリンの供給が間に合わなくなる結果、血糖値が急激に上昇して糖尿病体質の人が発症したり、病状に悪影響がでたりするのです。

丈夫な歯がいかに成人病防止に役立つかおわかりいただけたと思いますが、もともと歯でよく噛む行為自体が老化を防ぐ最善の手段なのです。咀嚼は唾液の分泌をよくし食べ物の消化を助けると共に、唾液腺ホルモンが細胞の劣化をとめる作用をします。しかも噛むことによる物理的刺激が脳に適度の活性を与え、老人ボケを防止するわけです。 反面、固い物をバリバリと食べられなくなると、咀嚼運動の低下により大脳の神経活動が鈍くなって老人ボケの原因を作ります。最近の調査では、義歯を入れた人に老人ボケが多いという統計数字が明らかになっています。

結論的にいえば、良い歯でよく噛むことが私たちに豊かで快適な高齢化社会のクオリテイ・オブ・ライフを約束してくれるのです。

●良く噛み、良く味わうこと。この2つの機能をこなす"口"の健康なくして料理の善し悪しを判断はできません。
● 食事を楽しい時間とし、おいしく食べることは、生を自覚的に全うすることであり、知的に生きることです。
● 頭が良くなりたかったら歯科医へ行け。
● 歯に命が宿る。脳の活性化は歯から。
● 歯は単なる「歯」ではない。それは人体の入り口であって生命維持のためのような活動をしている。
● 命の根幹である歯をきれいにすることは当然である。
● 虫歯や歯周病を放置する人は"いずれ脳もやられますね"と云ってやりたい。

 


「命の根幹」歯を守るには 


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